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その1とその2がなくて、
いきなりその3かよ!みたいな(笑)

いえいえ、ちゃんとあるのです。
去年の11月の初めに書いたブログです。

ぼくが死んだら
http://spfac.blog129.fc2.com/blog-entry-85.html

ぼくが死んだら その2
http://spfac.blog129.fc2.com/blog-entry-86.html


最近、ぼくが死んだら、というイメージを、
頻繁にするようになっている。

死んだら、三途の川を通って、
成仏すると、天国へ、みたいなイメージではなく、
もっと、リアルな話。

原因は、漠然としているんだけど、
自分が、死んでしまうことに対して発生する、
この世に対する執着の数々?のようなものが、
どんどん溢れてくる感じ。

人にも、モノにも、まだまだ執着がある。
そして、この地球の自然にも。

そんな気持ちが、ずっと続いていて、
心から離れないものだから、
結構、辛くて、週末から体調を崩してしまった(笑)

で、前にも、死んだときのことを、
ブログに書いたよなあ、と思いだし、
見てみたら、なんと去年の今頃だったのですね。

季節的なものがあるんだな。

季節が変わり、夏の緑が秋の茶に代わり、
冬を迎える準備が始まるこの時期。

しかも、10月は、父親の命日がある。

そういう要素も重なりつつ、
今の社会情勢も加わって、
ぼくが死んだら、みたいな気分になるわけだ。


去年の今頃は、原発事故は起こってなく、
今よりも、ずっと平安な気持ちでいられた。

だから、同じように、死んだときのことを考えても、
もう少し、ノーテンキでいられたような気がする。

ぼくの葬式のときの、
選曲を考えたりしてるぐらいだから(笑)


今年は、去年よりも、命の危険度は上がっている。

今でも、素敵な曲を見つけると、
葬式のときの選曲にいいな、と思ったりするけれど、
去年のような、ノーテンキさは、ない。

311の原発事故で排出された
放射線物質が原因になり、
心筋梗塞など、何らかの疾病にかかり、
命を落としている人も、いると聞く。

一部の人しか、知らなかった(考えもしなかったと思う)、
日本の裏側が、どんどん暴露されていき、
以前なら陰謀論だ!と言われたようなことが、
実際に庶民の目の前で起こり、実情が、知れ渡っていく。

「ぼくらの日本」は、こんな国だったのか?

世界でも最高の民主主義と自由を堪能出来る、
素晴らしい平和国家だったのではないのか?

誰もが、そう思い、面喰っている。


でもね、「ぼくらの日本」と思った瞬間、
そう言えば、ぼくらは、ただ、
日本に住んでいただけだった、ということを、
思い出す人は、それほどいないかもしれない。

ぼくらは、ぼくらの国を創って来たわけではない。

ぼくらは、テーマパークに住み着いた、
永遠なるお客さんに過ぎなかったのだ。
(そうでない人は別にして)


ぼくらは、日本をどんな国にしよう、と
真剣に考える時間を、持たなかった。

ぼくらの日本は、ぼくらが創った日本ではなかった。

ぼくらは、どこかの誰かが創った、
日本というテーマパークに
住まわせてもらっていただけだった。

確かに、一生懸命働いて、税金を納めて、
それなりに生きて来たかもしれないけれど、
国造りという観点でいえば、
みんな、誰かに依存して、任せ切っていた。

何十年も、人に任せっ切りだったもんだから、
いざ、こういうことになったとき、
国民の声は、どこに向けていいかもわからなくなり、
空しく響き渡るだけになってしまう。

大きな声で、何かを主張しても、
すぐに何かにかき消されてしまう。


今の日本は、日本人が考えて動かしている国ではない。
日本人ではない存在が、日本の行く末を決めている。

その存在は、日本と言う国を、
壊してしまおうなんて思っていない。

多分、大切に思っているし、
これからも、存続させようと思っている。

だが、それは、日本人のための存続ではなく、
自分たちのための存続である。

自分たちのために、日本を存続させ、
日本人たちを住まわせている。

そんな日本に、ぼくたちは住んでいる。


311以降、そこのことに気付いた人たちが、
どんどん増えているように感じる。

もしかすると、以前の日本のように、
これからも、淡々としたまま、
歴史が過ぎていくのかもしれないけれど、
ぼくには、そうではなく、今後、大いなる転換期が、
起こるような気がしている。

日本を動かす役目を、
日本人が取り戻す試みと実践。

そのためには、
多くの苦難が待ち受けていることだろう。

例えば、誰にもメリットのない原発を、
未だに推進しようとする存在がいる。

純粋な日本人は、原発そのものを欲していない。
欲しているのは、安定した電気の供給である。

では、誰が、原発を欲しているのか。

それは、今の日本を創った人たち。
日本テーマパークの運営側の存在だ。

運営側から、主権を取り戻すのは、容易ではない。
すでに、運営側に引き込まれた日本人も大勢いる。

そこには、どうしても溝が出来るはずだ。
溝の数だけ、苦難はある。

まあ、一発で解決出来る方法がないわけでもないが、
それは、ここでは述べない。

そんな、尋常ではない時期をイメージすると、
自分の死についても、ノーテンキに考えられない、
ということだ。


ぼくが少年の頃、
ハレンチ学園というマンガがあった。

永井豪さんの名作である。

このマンガ、最初は、Hでノーテンキで、
なんとも、少年には楽しいものだったのだが、
なぜか、気が付いたら、戦争になっていた。

連載を全て読んだわけではなく、
しかも、何十年も前のことなので、
はっきりと覚えていないんだけど、

春のうららかな、ほよよんとしたマンガが、
いつのまにか、ハードな激戦モードになっていて、
大きな驚きを覚えている。

今の日本は、その激戦モードに
突入してしまったようだ。

そんな中で、ぼくが死んだら、と考えたとき、
以前よりも、不確定要素が増えていて、
ますます、混乱してしまうのである。

なんだか、まとまりのない文章を書いてしまったけれど、
そういう漠然とした中に、
今のぼくは、いる、ということを、
書いておきたかった。


(追記)

誤解されると困るので、追記しておきますが、
ぼくは、「死にたい!」と思ってるわけではなくて、
「死にたくない!」と思ってるという話です(笑)


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