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人は、その短い人生の中で、

「時間の経過が勿体なくて、
 眠ることなんか、出来やしない。」

と思えるような経験を、
何度くらいするものだろう。

そもそも、そういうことは、
一度も考えたことがない、
という人もいるかもしれない。

だが、ぼくは、以前、
そういう経験をしたことがある。

その特別な「時間の経過」は、
煌めく黄金のような瞬間を材料にして、
絹を織るような優しさで創られており、
従って、1分1秒も無駄にすることなく、
すべてのすべて、経験として堪能し、
その結果も、自分の中に取り込みたい、
と思えるような時間の流れである。

そんな「時間の経過」を経験したら、
とても、眠ることなんか出来やしない。

土曜の昼下がり、
何気ない気持ちで読んでいた、
小説の一コマをきっかけに、
ぼくの記憶の中に、そのような、
とても特別な夜があったことを、
急に、思い出した。


その日のぼくは、
いつもと違う夜を、
過ごしていたのである。

季節は、真冬。
時刻は、真夜中。

場所は、19歳のぼくが住んでいた、
駒込の四畳半のアパート。

ぼくは、ぼくのベッドの中にいた。

しかし、その日のぼくのベッドは、
いつもとは違う暖かさで満たされており、
しかも、ぼくの大好きな匂いが、
微かに漂っていた。

すぐそばでは、寝息が聞こえ、
ぼくの腕の上に、すべすべの腕がのっかり、
その先で、手がつながれた状態になっていた。

ぼくは、彼女と寝ているのだった。
しかも、手をつないで。

東京で一人暮らしをしながら、
1年遅れで上京して来る予定の、
ひとつ下の彼女を待つ日々は、
ただただ、寂しかった。

19歳のぼくは、春夏秋冬と、
寝ても起きても、
彼女のことばかり考えていた。

今のように、携帯電話もメールもなく、
公衆電話を使うことは出来たけれど、
1000円で10分も話が出来なかった。

バイトしても時給500円の時代である。
2時間働いて、10分たらずの会話。
従って毎日話すなんて絶対無理だった。

文通のように手紙をやりとりする毎日。
あの頃の通信手段と比べたら、
今は、人々がテレパシーで
通信しているのと同じぐらい発達している。


そんな状態だったから、
受験の準備で、
彼女が、ぼくのアパートに、
泊りに来てくれたときは、
とてもとてもとても嬉しかったのである。

実は、そんな嬉しさとは裏腹に、
その日、ぼくたち2人で何をしたのか、
全然、覚えていないのだが、
真夜中のベッドの中で、
彼女と一緒にいる時間を、
記憶にとどめておこうとしていたことを、
ぼくは、しっかりと覚えている。

うっかり、寝てしまったら、
朝になってしまうのだ。

そして、朝になると、
彼女は帰ってしまう。

それを考えたら、
とても眠れなかった。

起きている時間の分だけ、
彼女のことを見ていられるし、
彼女のぬくもりも感じていられるし、
彼女の匂いにも包まれていられる。

彼女は、夜中に何度か眼を覚まして、
ぼくの隣で寝ていることを確認し、
それから、常にぼくが、
起きていることに気付き、
不思議そうに言った。

「あなたは、いつ寝てるの?」

もちろん、
ぼくは、寝てないよ、
ずっときみを見ていたよ、
等とは言わない。

「ぼくも、偶然、目が覚めたんだよ。」
と答えた気がする。

あの頃は、素直に気持ちを言うよりは、
どう答えたら、かっこいいか、
そんなことばかり考えていた。


そう言えば、一緒に寝てるのだから、
ずっと抱き締めていたかったけれど、
確か、彼女の睡眠の邪魔にならないようにと、
彼女が目を覚ましたときだけ、
そっと、腕をまわして、抱き寄せてた。

そして、ぼくのお気に入りの、
長い髪を撫でながら、
そっとキスをして、おやすみと言った。

そう考えると、当時のぼくは、
今のぼくに比べたら、
ずっと、きめ細やかな配慮をする男だった(笑)

(それがいいかどうかは別にして)



それから、朝が来て、
ぼくは、彼女を上野駅まで送っていった。

そうだ、あの時、彼女は、
確か、泣いていた。



その後、駒込の自分のアパートに
戻ったときのことは、
すごくよく覚えている。

寂しくて、胸が張り裂けそうであり、
彼女がいたことを示す痕跡がないか、
狭い部屋のあちこちを見まわした。

ベッドや床、テーブルや、冷蔵庫、
それから、なぜか、
引き出しを開けてみたりもした。

何か、彼女が残してくれたものはないか、
手当たり次第に、探さずには
いられなかったのである。

しかし、ベッドの上に残っていた長い髪と、
彼女が使ったマグカップぐらいしか、
痕跡は残っていなかった。

どれもこれも、
次に彼女が来てくれるまで、
そのままにしておきたいと思った。


今思えば、あの時のぼくは、
実際のところ、狂っていた。

日常生活に支障が出るほど、
彼女のことばかり考えていた。

彼女のことは、何もかも、ほしい。
もちろん、彼女のことを、
まるごとほしい。

彼女がいなければ、
ぼくが存在する意味はない。

全てを犠牲にしてでも、
一生、彼女を愛し続け、守り通そう。

なぜなら、それが、
(当時のぼくが考える)
究極で正しい愛のカタチだから。


ぼくも、そんな恋愛をしていた頃が、
あったのだった。

そして、今、はっきりとわかる。

今日書いたような輝く黄金のような瞬間は、
もう、二度と来ない、のではなく、
実は、今も、ここにあるのだ。

あのときが特別であり、
いまのときが特別でないわけがない。

あのときも、いまのときも、
煌めく瞬間でありうる。

言いかえれば、
この瞬間を、輝くシーンにするか、
それとも、消化試合の惰性にしてしまうかは、
すべて自分が決めている。

どんなときでも、黄金のとき。

想いを込めれば込めるほど、
黄金のときは、その輝きを増す。

未熟な恋愛や追い詰められたような恋愛をすると、
ココロにもカラダにも悪い気がするけど、
本当は、そんなことはない。

例えば、こんな風にして、
瞬間瞬間の大切さを気付かせてくれるではないか。


ただ、ぼくの場合、問題だったのは、
経験してから、気付きに代わるまで、
30年もかかってしまった。

あの頃と同じように、
例えば、今、この瞬間でも、
ぼくらは、寝るのが勿体ないぐらい、
煌めく黄金のときを過ごすことが出来る。

どれだけ、輝くかは、
誰もが、自分次第、ということだ。


ところで、
いうまでもないかもしれないけれど、
前回の話の彼女と、今回の話の彼女は、
同一人物である。

ただ、時間にしたら、
20年ほどの時差がある。

例えば、このような書き方で、
いろいろな時代のぼくと彼女を書いていくと、
時系列がバラバラなので、
わかりにくいかもしれないけれど、
それはそれで面白いような気がする。

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